豪族・小山氏の菩提寺
小山市にある満願寺の開山は、建保6年(1218)のこと。
この地域の豪族であった小山政光の長男朝政は日光三社権現に戦勝祈願し、
中禅寺立木観音を守り本尊としていたが、その後領地の伊古川村に観音堂を建立。
その後の建保6年に日光山寂光寺内より三社権現を勧請し、満願寺を開いた。
開山導師は日光座主の弁覚僧正であった。
この時、地名も伊古川から立木に変えられたと言われる。
境内には、政光が出家して蓮西となった後に建てた石幢が残されている。
江戸時代には常陸国千妙寺の末寺となり、朱印地は16石ほどであった。
寛延4年に没した栄伝師が住職を勤めていた時代に、本堂が建立されたと言われている。
この本堂は昭和23年(1948)に焼失した。
これは落雷による出火が原因であったが、大師堂以外のすべてを焼失し、
住職は過去帳を懐に入れ本尊を抱いて脱出したと伝えられている。