江戸の初めより山間の信仰を守る
例幣使街道から山間へ入った地域にある大通寺は、
延宝年間(1673〜81)に祐全和尚が開山した。
祐全和尚は日光開山の勝道上人の徒弟である。
江戸時代末期に火災に遭い、記録などが焼失。寺史などは未詳である。
明治になって、焼け残った建物の部材も使いつつ本堂を再建したという。
同寺にある梵鐘は、刻銘によれば享保5年(1720)に明神村念仏講中により寄進されている。
天明鋳物で、作者名は「佐藤六郎」とある。
この梵鐘は明治の神仏分離後、火の見やぐらの半鐘に転用されており、
そのおかげで第二次世界大戦時の供出をまぬがれたと思われる。
戦後、大通寺に戻され今も深い響きを聴かせてくれる。
また、本堂内に掲げる「大通寺」額は、
千日回峰行を2度成し遂げた酒井雄哉大阿闍梨が、
同寺に立ち寄った際に揮毫した御筆を彫刻して額としたものである。
秋には境内にある大きなイチョウの木がみごとに色づき、
訪れる人々の心をなごませてくれる。