宇都宮城「巽の守護」戊辰の役史跡も残る
光徳寺の発祥は、建久3年(1192)明達僧正により宝蔵寺の旧跡に開基され、
宇都宮城の「巽(南東)の守護」として建立されたと伝えられている。
日護摩を執り行って、代々の宇都宮城の安泰を祈願して来た。
慶応4年(1868)の戊辰の役により、
堂宇・古文書の全てが灰となってしまったが、その後再建された。
本尊は阿弥陀如来坐像で、明治2年 (1869)に奉納されたもの。
他に中国より渡来した釈迦如来石像も有する。
境内には本堂、客殿、虚空蔵尊護摩堂などがある。
本堂は先祖供養の回向道場として、
虚空蔵堂は人生上の煩悩を鎮める祈願道場であり、
この二つは宗教の根幹、祈りの空間である。
また、珍しい仏様である常不軽菩薩が建立されているほか、
仏教詩人・坂村真民の「念ずれば花ひらく」の碑が建立されている。
墓所には、戊辰の役で戦死した諏訪順八などの墓がある。
ちなみに簗瀬近辺は、戊辰の役で激しい戦闘が行われた地域である。
同寺では昭和50年(1975)より、天台宗御詠歌講習会(光詠会)を毎月2回開催、
そして毎月1回13日の虚空蔵尊護摩供の修行をしている。
また毎月10日には読経・高声念仏を行っている。