1170余年からの祈りの寺
荘嚴寺は天長9年(832)に慈覚大師円仁により創建された。
当初は円仁御作の観音菩薩像を安置し「観音妙法体同」という言葉から
寺名を「妙法寺」と呼び、また「東福院別当坊」と称した。
本尊の阿弥陀如来像は慈覚大師が唐の五台山より奉じてきた霊仏であるので、
山号を「御堂山」とも称した。
その後、中興の祖である英尊阿闍梨の時代(永承5年(1050)頃)に
諸堂が再建修復され、伽藍が壮大であったことから、
山号を「大御堂山」に変え、寺号も妙法寺から「荘嚴寺」に改められた。
境内には十七坊が瓦を並べ、 台密修学の古刹として栄えたと伝えられている。
現在、同寺に残る阿弥陀如来仏頭は、当時本堂内にあった大仏のものであり、
その大きさからも当時の伽藍の荘厳さが伝わってくる。
永承5年(1050)に源頼義が前九年の役で安倍氏と戦うために奥州へ向かう途中、
同寺に参詣して戦勝を祈願し、安倍氏平定後には大檀那となって諸堂を改築した。
また鎌倉幕府初代将軍・源頼朝も
奥州平泉の藤原氏征討の際、同寺で戦勝祈願したという。
さらに頼朝は、建久4年(1193)に那須野が原で狩りをした際、
荘嚴寺に30町を寄進して祈願寺とし、
前立の阿弥陀三尊像を運慶に造らせた。
この時代、同寺は大いに栄え、門徒10か院が開基されたという。
江戸時代には朱印地7石を受領、末寺も10か寺あったが、
弘化3年(1846)と明治9年(1876)の火災で堂宇の大半を失った。
その後、歴代住職と檀徒一同の尽力により、
本尊阿弥陀如来像と両脇侍像、不動明王が修理され、
さらに平成10年(1998)に大御堂が完成した。
境内には頼朝の供養塔、鐘楼門、位牌堂、山王神社(市文化財)などがある。
また真岡ひかり幼稚園を併設しており、明るい子どもたちの声も響いてくる。