地域の信仰を集める「両大師」の寺
全水寺は嘉祥年間(848~851)円仁により草創された。
開基は正長元年(1428)、青蓮院宮尊鎮法親王と伝えられている。
各地で戦闘が頻発していた時代、天正19年(1591)
下妻城主多賀谷氏により、近隣の長沼地区にある宗光寺が破壊された。
その際、宗光寺住持・亮弁僧正は、経典、法具、寺宝を携えて
久下田地区へ移り、新宗光寺を建立し た。
亮弁僧正が新宗光寺の中興の祖(中興1世)となり、
その後、新たに宗光寺を旧地・長沼にて再興を果たした天海僧正が、
やはり同寺の中興2世として法灯を継ぎ、寺号も「全水寺」に改称された。
寺門が隆盛を極めた当時は寺領150石を有し、
慶安2年(1649)年には、徳川家光より朱印地10石を賜った。
明治16年(1883)12月13日の火災により、本堂、庫裡などが焼失し、
長らく仮本堂のままであったが、
平成23年(2011)、本堂、客殿が再建され現在に至る。
天海僧正の尊崇する慈恵(元三)大師と共に、
慈眼(天海)大師の両大師が祀られ、古来より地域の住民から厚い信仰を集めてきた。
慈恵大師坐像、慈眼大師天海僧正が描かれた掛け軸のほか、
境内には亮弁僧正供養石塔が大切に受け継がれている(いずれも市文化財)。
また中雀門には「両大師」の文字が残されており、目にすることができる。