千年の歴史と地域からの信仰を今に受け継ぐ
開山当初、境内に滝があったことから瀧海山と称した常珍寺は、
天安2年(858)、比叡山延暦寺第3世座主慈覚大師円仁により創立された。
延宝年間(1673~1681)の山崩れにより、本堂を含む諸堂宇が滝とともに埋没したが、
天和3年(1683)これを嘆いた第22世賢榮法師が、
旧所在地より北へ約150m、やや高台に位置する現在の地を選び再建した。
その後、元禄年間(1688~1704)、中興の祖である第24世慶海僧正により、
観音堂、仁王門、大門、鐘楼などの建立とともに、仁王像など諸仏像が鋳造された。
秘仏である聖観世音は、寛治元年(1087)源義家が後三年の役に際し、
戦勝を祈願し奉納した諸仏のうちの一体であると伝えられている。
後に、下野三十三観音霊場第6番札所として現在に至る。
なお、聖観世音は住職一代に一回の開扉とされていたが、
平成2年(1990)、第39世代による開扉を最後に一般への公開は行われていない。
近隣地域からの厚い信仰を脈々と集めてきた同寺では、
その後も境内の整備が進められ、
昭和60年から平成元年(1985~1989)にかけて菩提堂などの堂宇の新改築がなされた。
本堂には本尊の阿弥陀如来のほか、江戸中期頃の作とされる慈恵大師坐像が、
菩提堂には大日如来像、阿弥陀如来像が奉安されている。
境内には、県指定の文化財である地蔵菩薩半跏像、地蔵菩薩立像などもある。