宇都宮氏祈願寺で天海僧正ゆかりの寺
慈照寺は、宇都宮市から車で国道123号に沿って東へ向かい、
清原工業団地を過ぎて5分ほどの場所にある。
なだらかな坂が続く地域であり、
近年は宇都宮市のベッドタウンとして開発が行われている。
慈照寺の建立は建長2年(1250)で、宇都宮城第6代城主泰綱の祈願寺であった。
当時は「慈眼寺」という寺名であった。
その当時は、同寺の東に宇都宮城の出城があったとされる。
その後、寛永6年(1629)に天海大僧正が中興開山した。
天海大僧正の諡号は「慈眼大師」であるため寺名と同じであり、
そのため「中興開山の祖と同名では畏れ多い」として、現在の「慈照寺」に改称した。
また古伝によれば、寺に毘沙門天が安置されていたことから
「安楽の世界に慈眼あらわれて照らす船戸の毘沙門天の堂」と
詠まれたのが寺名の由来とある。
天海大僧正は江戸時代初期の僧侶で、徳川家康の信頼篤く
家康の死後に東照大権現の贈号と日光山への改葬を主導した人物として名高い。
2代秀忠、3代家光にも仕え、上野寛永寺を創建。
寛永20年(1643)に108歳で没した。
現在の本尊は、奈良時代の行基菩薩が彫刻して勧進された薬師如来で、
一刀三礼彫りと称し、刀を一刻みするごとに三礼して彫刻したといわれている。
古くから「芳賀の薬師」として親しまれ、「日本三大薬師」の一つとも呼ば れている。
古くは宇都宮城主の祈願寺だったこともあり、
現在でも護摩をたくことが多い。
埼玉県川口市に慈照寺別院があり、兼務寺となっている。