地域を守る大般若転読法要
周囲にはのどかな田園地帯が広がり、
遠く筑波山を望む福城寺は、
天文5年(1536)下総山川庄の山川五郎左衛門の孫林大膳が一向宗に帰依し、
「法光坊」と称し一寺を建立したのが始まり。
その後、天台宗に改宗し「宝蔵坊」と称した。
徳川家光公の御朱印状によれば、朱印地5石を賜り、
享保年間(1716~1736)に寺号も福城寺と改めたとされる。
江戸時代から続けられている「大般若転読」の法要は、
福城寺の一大行事として毎年4月17日に行われている。
同寺の周辺地域には、この法要に関してある言い伝えが語り継がれている。
大般若転読の法要が、かつて一度だけ中断したことがあり、
中断してすぐに地域に疫病が流行したことから、法要を再び復活させたという。
以来、途切れることなく法要は行われ、
地域檀信徒の「息災延命、転禍為福」が祈念されている。
また、法要の際に現在も使用されているお札の版木には、
「寛政12年(1800)庚申」の文字が見られる。
境内には十一面観音像が祀られている観音堂のほか、
如意輪観音像が祀られている十九夜供養塔があり、
なかでも巡礼供養塔である「回国供養塔」は小山市内で最も古く、
寛文8年(1668)、 第10世乗泉によって建立されたものである。