平安から続く円仁ゆかりの寺
光明寺は平安時代初期の仁寿3年(853)、慈覚大師円仁の開基による。
中世には亮珍僧正ならびに朝舜阿闍梨が法灯を継ぎ、
以後隆盛を極め信仰を集めたと伝えられている。
江戸時代中期の明和8年(1771)正月、不慮の火災により
本堂・庫裡などを焼失した。
その後時経ずして、安永4年(1775)舜英和尚の代に旧観に復元し現在に至っている。
本堂は築後240年を数える。
本尊は阿弥陀三尊像(脇侍は観音菩薩像と勢至菩薩像)で、
両脇壇上には菊花紋が刻まれている。
脇壇に安置された、人の身の丈ほどもある聖観世音菩薩像は、
安産や子授けの観音様として、古くより厚い信仰の対象となっている。
この像および宝篋印塔は、市文化財の指定を受けている。
また元三大師信仰の歴史も古く、厄よけ祈願や元三大師お御籤が伝承されている。
境内には薬師堂、観音堂、宝篋印塔、水子地蔵、六地 蔵、石仏群などがある。
地蔵や石仏も人々の信仰を集め、手を合わせる人が絶えない。
市街地にありながら閑静な雰囲気を保ち、
地域の信仰をになっているお寺である。