慈覚大師円仁誕生地
壬生寺は慈覚大師円仁の誕生地として古くから知られ、
江戸時代の貞享3年(1686)日光輪王寺の門跡天真親王が、
時の壬生城主三浦壱岐守直次に命じて大師堂を再建し、
小山市飯塚の台林寺をその側に移して別当とした。
その際、慈覚大師が産湯をつかったとされる「産湯の井戸」も改修された。
その後、幕末の文久2年(1862)大師一千年遠忌にあたり、大師堂の改修が行われた。
台林寺は、その後飯塚に戻っている。
大正2年(1913)大師1050年遠忌には、輪王寺門跡彦坂大僧正のもとに、
壬生町長を中心とした壬生町信徒報恩会を組織。
大師堂の側に、東京上野の寛永寺にあった天台宗学問所(旧勧学寮)を本堂として移築し、
大正5年(1916)に新たに壬生寺を創立した。
ちなみにこの建物は、江戸時代中期のもの。
昭和38年(1963)の大師1100年遠忌には、本堂・大師堂の改修を行い、
天台宗座主即真周湛猊下、輪王寺門跡菅原栄海大僧正導師によって、
御親教大法要が営まれた。
翌昭和39年(1964)には、慈覚大師の研究家であるライシャワー駐日大使が来院した。
平成25年(2013)に大師堂と本堂の大改修を行い、慈覚大師1150年御遠忌大法要を行った。
同寺には2体の慈覚大師像がある。
1体は天和3年(1683)のもので、寄木造・彩色玉眼禁裏大仏師左京入道勅法眼康祐作。
もう1体は天保15年(1844)高松得之輔重房作で、
こちらは慈覚大師が中国より持ち帰った白檀の木より数十体作られ、
大師ゆかりの寺に奉納された。
境内には慈覚大師ゆかりのものだけでなく、
県の天然記念物に指定されている樹齢400~500年の大イチョウも
近年パワースポットとして知られ、訪れる人々を見守っている。