壬生街道要所の地桜の名所としても有名
悠々たる思川の流れを西に望む台林寺は、
元和年間(1620年頃)信祐法印による開山と伝えられる。
同寺のある小山市飯塚地区は、
日光社参の将軍や例幣使の復路として利用された壬生街道を擁し、
江戸時代に入ると、交通の要所として栄えた。
承応3年(1654)には、伝馬宿に指定された。
伝馬宿や飯塚河岸(壬生藩御用河岸)建設に当たったのが、
壬生藩家老の九津見定利であり、定利の墓がいまも同寺に残されている。
同地区の産業、文化の繁栄とともに、
当時の寺運も隆盛であったことがうかがえる。
慶応4年(1868)戊辰戦争の折、同寺の住職である宇都宮広亮が、
日光山内に逃れていた幕軍を説得し、会津方面へ落ち延びさせ、
日光を戦火から救ったことは有名である。
台林寺から約200メートルの場所に位置し、
昭和53年(1978)に国の史跡として指定された摩利支天塚古墳は、
同寺が所管している。
関東地方で最大規模の前方後円墳である摩利支天塚古墳の頂には、
摩利支天が祀られている。
摩利支天は、陽炎を神格化したとされることから、
日本では古くは武士の間で信仰を集め、
いまでも武道を学ぶ人たちが護身、勝利を祈願に同寺を訪れる。
猪の上に乗る特徴的な姿の摩利支天尊は、
高さ約37センチの木造。
毎年4月5日には祈願護摩が行われる。
樹齢100年といわれる山門の見事な枝垂れ桜は
「小山桜百選」に選ばれており、桜の名所としても名高い。