太平山中にも名の残る古刹
栃木市の中心市街地にある圓通寺は、
天長2年(825)慈覚大師円仁の開基と伝えられる寺で、
当時は栃木市太平山に創建された。
現在も太平山上に「圓通寺平」の地名が残っている。
中世以降、関東19檀林寺の一寺として繁栄した。
当時の資料は失われているが、他国壇林寺院の記録に
「下野國園通寺より移住」「圓通寺に移る」などの記載が見られ、
能化・所他の交流を表す記録が多く残っている。
第24世住職稟秀による記載に開山慈覚大師、中興開山「比叡山ノ等海法印」とある。
等海は恵心流の口伝法門「宗大事口伝鈔」を貞和5年(1349)に 清書し、
明徳3年(1392)に観心聞書を書写したと栃木市史にある。
二世救海は応永23年(1416)太平山中腹にて入定を成就した。
自筆の「入定記」四葉が現存し「高慶大師」と諡号され今日に伝えられている。
天正7年(1579)に武将・皆川広照により栃木城築城の固めとして、
現在の栃木市城内町に移転させられ、今日に至っている。
安政3年(1856)に本堂が焼失したが、昭和63年(1988)に再建された。
当寺は複数回の罹災により、現存する古文書は少ないが、
先に触れた入定記や天海文書などが現存する。
また、境内地内に栃木市最大の前方後円墳があり、
栃木市教育委員会と国学院大学による発掘調査が行われている。