「佐野厄よけ大師」として名高い寺
佐野市内中心部にあり、日々多くの人々の信仰を集めている
惣宗官寺(惣宗寺)は「佐野厄よけ大師」の名前で有名である。
承平7年(937)朱雀天皇の御代に奈良の僧侶・有尊上人が開いた寺であり、
当初は南部六宗のひとつ法相宗の寺であった。
その昔、藤原秀郷が平将門降伏の請願により、
佐野の春日岡(現在の城山公園)の地に、
春日明神の社殿とともに寺を建立して朱雀天皇に申し上げたところ、
天皇は大変に喜ばれて「春日岡山転法輪院惣宗官寺」の勅額を賜ったと伝えられている。
その後、藤原家の一門の出身である比叡山の僧侶・俊海が、
永仁5年(1297)に寺を復興した。
俊海は父である藤原光憲の「春日岡は祖である藤原秀郷の創立した氏寺である。
父の志を継いで保元・平治の乱で荒れてしまったこの寺を復興せよ」との言葉を心に刻み、
藤原氏や北条氏の有志とともに鎌倉幕府執権の北条貞時を諭して、
寺の復帰を成し遂げたと言われている。
この時より法華経を所依の経典とし、
伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗の寺となった。
慶長7年(1602)当地を治めていた佐野信吉が、
幕命により唐沢城を春日岡へ移し同寺は現在地に移転した。
江戸時代には御朱印50石を拝領し、寺社奉行も置かれ、
3代将軍家光も参拝するなど、徳川幕府との関係も深い。
同寺に安置された元三慈恵大師(御本地・如意輪観音)は
「厄よけ大師」として名高く、関東の三大師と尊ばれている。
年毎に信者が増え、正月大祭には約百万人の参拝客を仰いでいるという。
境内には総金箔押しの水子地蔵尊や金銅大梵鐘、
春日稲荷大明神、パゴダ供養塔などが並び信者の想いを受けとめている。
郷土の生んだ大政治家である田中正造の墓や佐野東照宮など文化財も数多い。