天明鋳物の歴史伝える百観音
「佐野百観音」で名高い台元寺は、
慶長6年(1601)3月、春日岡山惣宗寺(佐野厄よけ大師)
第13世三海大僧正により創立され、本尊は延命地蔵菩薩 (木造半跏像)。
旧寺域は墓地東(現本堂より北に約150メートル)にあったが、
嘉永元年(1848)に焼失し翌年に現在地に再建された。
平成21年(2009)9月に、檀信徒の悲願で本堂・観音堂・会館・庫裡と
諸堂及び境内地の一斉整備が完成した。
境内には、台元寺とともに大永4年(1524)作の十一面観音を本尊とする観音堂がある。
普門院観音寺として元禄11年(1698)
佐野坂東三十三札所が創始された時、第3番札所となった。
その後、日光山の了覚上人が、
日本百観音霊場(西国33、坂東33、秩父34)の観音様の模造を発願、
鋳物師たちの自慢の腕を競技する作として、
元文元年(1736)に佐野百観音が完成した。
翌年、日光山御門主より了覚観音院 唯信寺の号を賜るが、
明治6年(1873)に廃寺となり台元寺に統合された。
佐野は平安の昔から鋳物文化が栄え、
地名から「天明鋳物」と言われ「西の芦屋東の天明」と称される。
佐野百観音は現在では「佐野ブランド」として佐野を代表する名所であり、
昭和37年(1962)には県文化財となった。