越名舟唄の石碑が建立する寺院
閑静な住宅街にある大聖寺。
その境内では春には美しい藤が花を咲かせ、
また「難を転ずる」に通じることから縁起が良いとされる南天の木100株が植えられ、
冬には赤い実を実らせ、参拝などで訪れる人々の心を和ませている。
昭和26年(1951)、近隣からの火災により本堂、庫裡が類焼し、
所蔵していた古文書などが寺宝とともに焼失。
同寺に関する歴史的な記録は唯一、
旧安蘇郡植野村の郷土誌に記載が残されているのみである。
天正4年(1576)、春日岡山惣宗寺第11世亮海により開山。
その後、戦乱により一時衰退するが、元禄13年(1700)3月、
中興の祖である順海により再興が果たされた。
昭和26年(1951)の火災により焼失した本堂は、
翌27年(1952)に仮本堂として再建され現在に至っている。
昭和31年(1956)には、日清、日露、大東亜戦争などの
戦没英霊を供養するため平和観音堂を建立。
境内には他に弁天不動尊堂がある。
大聖寺は近年、平成8年(1996) に建立された
「越名舟唄」の記念碑(石碑)のある寺院としても知られている。
「越名舟唄」とは、江戸初期から明治時代にかけて、
江戸と佐野を往き来し、地元・佐野地方の産業と文化の発展に寄与した
高瀬舟の船頭たちにより歌われていた舟唄である。
石碑は「越名舟唄」の保存・普及に尽力した
佐野市出身の民謡家、故・大出直三郎氏を顕彰するために建てられた。