願えば叶う地蔵尊の寺
寺伝によると、普門院は織田信長が比叡山を焼き討ちした、
元亀2年の翌年(1572)、比叡山の僧「尊耀陽雅」が開創した寺である。
ご本尊の「鏡延命地蔵尊」は、普門院の第10世住職寂應によって造立された。
寂應は享保13年(1728)頃から寛延4年(1751)まで住職を勤め本寺中興の祖とされている。
寂應以前の本尊は不動明王であったらしいが、
現存する不動明王がその当時のものかどうかは不明である。
寂應の時代、庶民信仰の主流となっていた地蔵信仰を背景として、
佐野天明鋳物の名工といわれた長谷川弥市とともに、
享保の末年頃に地蔵と不動を合体した造形の鏡延命地蔵尊を造立し、
普門院繁栄の基礎を築きあげた。
鏡延命地蔵尊は不動明王の侍者「コンガラ」と「セイタカ」を従え、
常に柔和な微笑をたたえ「願えば叶う地蔵尊」として深い信仰を集めている。
背面に「不可思議の神力 慈悲 弁才の地蔵尊を造る。和讃寂應」の陰刻銘がある。
昭和34年(1959)県文化財指定を受けた。
なお、阿弥陀三尊の脇侍、十一面観世音には、慈覚大師作の奥書がある。
毎年1月1日と毎月24日には新年祈願護摩と例祭祈願護摩を行っている。