日本三大地蔵の寺
宝亀元年(770)伯耆国(鳥取県) 大山の弘誓坊明願という僧が、
岩船山上で船形の大岩から現れた地蔵尊を拝み建立したと伝えられる。
岩船山の名前は船に似た形からと言われているが、
高勝寺は本堂のある方が船の先、
賽の河原堂が船の後方にあたる。
中間には仁王門がある。
昔このあたりに住んでいた村人の間に
「岩肌の出た高い山に霊魂が集まる」という宗教があり、
仏教が入るにつれてそれが「死者の魂が集まる処」「霊魂の集まる処」「霊魂の故郷」
と、言われるようになった。
また、徳川3代将軍家光の側室お楽の方は岩船地蔵を信仰し、
そのご利益で生まれたのが4代将軍家綱であることから、
子授けの地蔵ともいわれている。
現在は天台宗であるが、江戸時代に真言宗から改宗した。
大正15年(1926)に本堂・供養所が火災にあっているため、
改宗時期ははっきりしていない。
この名残で今でも岩船山地蔵尊縁起和讃は
真言宗で唱え続けられている。
境内には、県内に3基しかない三重塔がある。
また山門は県内でもっとも大きいもの。
鐘楼堂の袴腰は、地元産の岩舟石でできている。
岩船山正面の登山道には、約600段の石段がある。