観音様と花巡礼の寺
清水寺の開基は行基菩薩で天平11年(739)と伝えられている。
大同元年(806)頃、国司によって堂塔や坊舎が新築された。
天慶10年(947)に藤原秀郷が平将門を討伐した際、
祈誓報恩のため堂塔を再建したが、その後兵火により焼失している。
鎌倉時代に入り、栄朝禅師が寺院跡地が失われたことを嘆き、堂塔を再建した。
江戸時代の慶安2年(1649)、徳川幕府により観音堂領として御朱印10石を賜り、
時の住職・亮圓師によって堂塔が再び建立された。
亮圓師は中興第1世と讃えられている。
現在の本堂は、平成7年(1995)の建立である。
また同寺内にある観音堂は下野三十三観音第26番札所である。
本尊の十一面千手観世音菩薩(県文化財)は「滝の観音様」として
古来より広く信仰され参拝者も多い。
この像はもともと行基作と伝えられてきたが、
昭和63年(1988)の解体修理の際、
胎内の墨書により鎌倉時代の文永2年(1265)仏師観阿弥作と判明した。
観世音菩薩両脇の2体の仏像は勝軍(将軍)地蔵と毘沙門天像で、
ともに市の文化財になっている。
また関東一都六県に点在する「東国花の寺百ヶ寺」の花巡礼札所で、
境内に数多くの花が植えられ、市民の憩いの場所となっている。