人材育成で地域に貢献「ピンポン寺」
足利市中心部の東に位置する徳蔵寺の開創年は不詳であるが、
平安朝の末のころ行学兼修の大徳、龍海大阿闍梨が
民衆教化のために草庵を結んだと言われている。
江戸時代中期、宝暦年間(1751~1764)には中興の祖である尊雄師がいる。
同寺のある地域は、足利・桐生市の織物を
江戸へ運ぶ回漕問屋が軒を連ねていた。
これらの問屋の活躍が、足利の隆盛の礎を作ったのであり、
ここで財を成した商人たちが同寺の檀家であった。
そのため、現在も数多くの文化財・寺宝が同寺に残されている。
愛染明王尊は厨子に納められ、極彩色のお堂に安置されている。
この愛染明王像付厨子は足利市の指定文化財であり、
慈覚大師円仁ゆかりの言い伝えがある。
同寺は代々地域の人材育成や教育に力を注いでおり、
現在もピンポンによる地域の交流などを行って
「ピンポン寺」の名を持つ。
また写経や香教室、老人や子どもが対象のサロンなどを主宰している。
歴史的にも、足利学校の次に人材育成の学校として、
寺子屋学校を運営した寺である。
他に、文化10年(1813)建立の五百羅漢堂や
寛政12年(1800)年の銘のある千庚申堂、
鎌倉時代末期のかな地蔵尊、江戸時代中期の日限地蔵尊などがある。
五百羅漢の参拝には予約が必要である。
また三面大黒天は足利七福神の一つである。